大坂屋の歴史

16世紀 --- 戦国時代


大坂屋の創始者となる初代久左衛門は戦国時代の天正4年(1576)に摂津国西成郡(現在の大阪市東淀川区)に生まれる。慶長元年(1596)頃に創業し、初期は縁戚である備後福山大坂屋と連携して中国地方の鉱山開発により財を得た。
秋田藩主佐竹氏と久左衛門はかねてより関係が深く、慶長7年(1602)佐竹氏家臣牛丸の要請を受け、東北地方の銅山開発に着手した。秋田阿仁銅山(現在の秋田県北秋田市)は後年には大坂屋の稼業により全国最大の生産量を誇った。最盛期の生産量年間360万斤は米70万石に値する。
徳川家康による江戸開府の慶長8年(1603)に久左衛門は大坂北炭屋町(現在の大阪市中央区西心斎橋)に移転し住居を構える。久左衛門はのちに銅山経営、銅吹(銅精錬)、海外貿易を行う豪商大坂屋の初代となる。17世紀には日本の銅生産は世界一を記録し、住友と大坂屋が一位と二位を占めた。


上画像:銅吹由来書 <詳細>
古来銅吹屋として泉屋(住友)吉左衛門、大坂屋久左衛門らの名前が記されている。

下画像:大坂屋炭屋町図面 <詳細>
大坂屋久左衛門の本宅絵図。敷地の大きさは南北40間(80m)、東西25間半(51m)。

17世紀 --- 江戸初期


大坂屋は17世紀のはじめには海外貿易に進出した。全国各地で採掘した荒銅を大坂屋大坂店に集積し精錬した。また江戸店を通じて地売銅の販売を行い、長崎店からヨーロッパ・東南アジア・中東などに輸出、海外からは薬種などを輸入した。当時日本の貿易決済の殆どは銅輸出により賄われていた。
銅山開発から精錬業、銅販売、貿易など開発・生産から流通・貿易まで多角的に一貫掌握することにより大坂屋は大きな利益を得た。延宝6年(1678)大坂屋に銅貿易株が認可され(十六人株仲間)、大坂屋は幕府御用商人として住友家に次ぐ地位を得た。
大坂屋は全国に手代を派遣して鉱脈の調査を行っていたが、寛文7年(1667)に手代彦兵衛は秋田阿仁三枚山に銅鉱脈を発見する。高い技術力と資金力を持っていた大坂屋は秋田藩の鉱山事業を建て直し、秋田藩江戸御用邸資金として4万両の貸付を行うなど藩政に貢献した。


上画像:大坂屋手代彦兵衛墓碑(秋田市阿仁町文化財)
元禄2年(1689)一心山専念寺に建立。彦兵衛は阿仁銅山発展の祖。上方特有の赤御影の墓石は大坂で彫刻され敦賀から北前船で秋田に運ばれた

下画像:秋田藩阿仁銅山絵図
秋田藩各地の鉱山は大坂屋はじめ住友、鴻池、北国屋など多くが参画していたが、元禄10年(1697)には阿仁十一山を大坂屋が一手に独占して経営するようになった。

18世紀 --- 江戸中期


元禄14年(1701)大坂屋は住友家とともに江戸に赴き勘定奉行の荻原近江守重秀に銅山経営について数十箇条の意見書を提出する。経済が全般的に斜陽化するなか、大坂屋は享保4年(1719)に綱紀粛正を基本とする家政改革を行った。
元文3年(1738)に秋田藩鋳銭のための事業を行うが秋田藩から利益を得られず延享2年(1745)には2万両の赤字を計上した。
銅には微量の銀が含有されており鉛を触媒として抽出する手法を南蛮吹といい当時世界の最先端技術であった。南蛮吹は幕府の統制化にあったが秋田藩では藩財政の建て直しのため秘密裏に平賀源内を招聘して銀抽出を試みるが失敗し、安永3年(1774)大坂屋に協力を要請する。
大坂屋は専門技術者を派遣し篭山(現在の秋田県能代市二ツ井町)に銀絞所を操業させ成功を収めた。篭山銀絞所は秋田藩政を潤し、また大坂屋の経営にも寄与した。


上画像:銅吹由来鋳銭場絵巻 <詳細>
銅から銭をつくる鋳銭場の作業を描いた絵巻物。銅運送からはじまり銭舞台まで二十五の情景が鮮やかな彩色で描かれている。

下画像:大坂屋家系図
初代大坂屋久左衛門から四代大坂屋甚之烝清胤の家系図。享保4年(1719)。

19世紀 --- 幕末


大坂屋から秋田藩の直山となっていた阿仁銅山は荒廃が進み、経営に行き詰まった藩は再度大坂屋に経営交代を要請する。大坂屋は文化元年(1804)に手代を派遣して阿仁銅山の経営を再開した。秋田藩は大坂屋手代に御裃拝領および50石の扶持を付与し厚遇した。
江戸時代末期になると全国各地の鉱山埋蔵量が著しく減少しまた深くまで掘り進める必要もあり鉱工業の経営効率は低下した。また幕末になると幕府の政治力も不安定となり経済は沈滞し、延宝6年(1678)には16家あった幕府御用の銅吹商(十六人株仲間)は住友、大坂屋ほか6家に減少した。
大坂屋の当主は代々幕府の銀銅吹屋御用、金銀吹分御用、廻船年寄御役をはじめ秋田藩御銅支配役、江戸、京、大坂の銅吹屋組頭などに任じられている。
慶応3年(1867)徳川幕府終焉と共に大坂屋はすべての事業から撤退する。大坂屋の家系は初代久左衛門から数えて十四代目にあたる子孫の官浪辰夫に続く。


上画像:大坂屋雄三郎堅信(1818 - 1872)
八代久左衛門鰹清三男、九代駒太郎清憲の実弟。文化17年(1818)生まれ。

下画像:官浪幸太郎(1873 - 1942)
明治6年(1873)年生まれ。大阪北野高校から京都帝国大学に進み、のちアメリカ留学。官浪辰夫の祖父。